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「男の子あるある」について思うこと 

思うこと

「男の子あるある」の負の側面(男の子は靴下や服を脱ぎっぱなし、部屋が散らかりっぱなし、かばんの中身が散らかりっぱなし、ゴミはおきっぱなし等)でもいいのかどうかについて、思うことです。

他のお母さんたちと話していても、こういうことは「男の子あるある」なのですが、中学生になっても、それを放っておいていいのかどうか、もしくは母親が代わりに片付ていいのかどうかについて、思うことを書いていきます。

私は、男の子は仕方ない・・・と手伝うのは小学生までで、

中学生になったら、本人のやりっぱなしについては断固として手伝わない方がいいと思っています。

自分でできる能力は育っているはずですので、それなのに片付けないのは本人の責任です。

だから、私は必ず本人に一言「片づけるように」と伝えて本人に責任を取らせています。

先々のことになりますが、

もし母親が片付けてしまうと、それが当たり前になり、その息子が結婚したときに、お嫁さんに苦労をかけるこになり、離婚される確率が高くなり、結果的に本人のためにもなりません。

自分が育ててこなかったつけをお嫁さんに押し付けることになってしまいます。

確かに、男の子にとって片付けは、苦手なこと、優先順位が低いことなのだとは分かるので、決して完璧は求めていません。また、あまりにもそればかりしつこく問い詰めることも男の子にとっては逆効果になると思っています。男の子はあまり不必要に追い詰めてはいけません。男の子は根が単純なので、女の子のように逆に母親の欠点をついてくるような知恵も回りませんので、あまりにも追い詰めると、手が出る(暴力)可能性があると思います。

だけど、だからといって何も言わないで黙認してはいけないと思います。

ごみやものをほったらかしで出かけることで、

「あなたがほったらかしにしているせいで、他の家族の迷惑になり、誰かの手を煩わせることになっている現状」については、気づかせる必要はあります。

はだかの王様にしてはいけないんです。

だから、私はあえて、気づいたときには一言注意することにしています。

注意せずにさっと拾って捨てることや片づけておくほうが親としては楽です。でも、その結果、本人をはだかの王様にさせてしまう可能性があります。

ごみ捨てや部屋の片づけなんてささいなことですが、「一事が万事」という言葉があります。

私はこの言葉は本質をついていると思っています。

ささいなことでさえ自分の行動に最後まで責任を取れない人間が、一体どうやって社会で信用されて活躍できるというのでしょうか。

社会に出て、嫌なことや苦手なこと、自分の後始末や下働きはは全部他人に押し付けるのでしょうか。

そんな人間が人から信用を得て、社会で活躍できるとは思えません。

もちろんどんな人にも得意不得意はありますので、苦手なことがあって人に頼むのなら、それに対して感謝の気持ちを持てる人に育てないといけないと思います。してもらって当然の仕事なんてありません。

親が当然のように片付けていたら感謝の気持ちをもつはずがありません。

天台宗大阿闍梨の酒井雄哉氏もこのようにおっしゃっています。

「小事を大切にする気持ちが、成功を引き寄せる」

それに、何か事を起こそうと思ったら、一番小さい、目先にある小事を大切にしなかったらダメだということが、自主独立の精神を持って生活しているとわかるようになるんだ。小事をこなせれば、だんだん大きいことでもできるようになっていくから、昔の人は「小事をこなせる人は、大事をこなすことができる」ということをよく言っているんだよ。

(中略)

これから大きなものをやろうと思ったときには、本当に些細なことから、根性を持ってこなしていかなかったらできないんだよ。

「がんばらなくていいんだよ」(酒井雄哉著より引用)
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この真理は、男でも女でも一緒だと思います。

だから、わたしは、「男の子あるある」の負の側面は仕方ないと甘やかしてはいけないと思っています。

「一眼は遠く歴史の彼方に、一眼は脚下の実践に」と国民教育の師父・森信三先生もおっしゃられていたそうです。

男女関係なく、人として、脚下の実践はおろそかにしてはいけないと思います。

ひとつひとつです。

また、書きます。

男の子の育て方についてはこちらの記事もどうぞ ▽