こんにちは。さんははです。
40代を過ぎると、学校のPTA役員や自治会役員、子ども会役員、習い事での親の役割など、地域や子どもたちの為の役回りをする機会が増えてきました。
今まで、誰かがボランティアでその役割を引き受けてくださり、学校や地域、子どもたちのために、今日まで続いてきた活動です。
ですが、仕事や家庭の事情を言い訳にして役を引き受けない、めんどうなことには関わりたくないという方が増えてきているような気がします。
「自分のメリットにならないことはやりたくない」という考え方なのでしょう。。。💦
だけどそういう考え方の人が増えてくると、どうなっていくのでしょう。
もやもやした気持ちでいたとき、鍵山秀三郎氏のこの言葉に出会い、心に響きましたので、ご紹介します。
益はなくとも、意味はある(鍵山秀三郎氏の言葉)
「益はなくとも、意味はある」
中国の晏子の言葉です。自分の利益に結びつかないことでも、周囲の人や社会・国家のために努力すること、それ自体に大きな意味はある。二千五百年たったいまも色あせない、本質をついた至言です。
朴の森| 鍵山秀三郎 鍵山記念館 | 89号 益はなくとも意味はある より引用
自分にとって利益がないと思われることでも、周囲の人や社会のために努力する意味はあると考えることです
さらに詳しく、鍵山氏の著書より引用します
「益はなくとも、意味はある」
見返りの得られないことに対して、どれだけ真剣に取り組めるか。
この基準が人物を左右します。
ところが最近、見返りが保証されなければ損だという価値観の大人が多くなりました。
(中略)
こうした子どもの特性をそのままひきずっている人を、大人とはいいません。
大人とは、すぐに見返りが得られなくても、辛抱して待てる人のことです。
すぐに成果が得られなくても、積極的に取り組める人のことです。
ひとりでも多くの人が、見返りばかり求めず努力そのものに意義を見出せるようになれば、世の中はもっとおだやかになります。
たとえ、自分の利益に結びつかないことであっても、周囲の人・社会・国家の利益を優先する姿勢を持つ。
今こそ「晏子」の至言、「益はなくとも、意味はある」という言葉に耳を傾けるときではないでしょうか。
「ひとつ拾えば、ひとつだけきれいになる」(鍵山秀三郎著より引用)
「いつも『ふたつ返事』で」(佐藤ママの言葉)
この話を考えていた時に、以前に本で読んだ、佐藤ママの意見を思い出し読み返しました
佐藤ママは「いつも『ふたつ返事』で」と書かれています
佐藤ママの言葉にも励まされるときがあります
「いつも『ふたつ返事』で」
子どもが学校に上がると、とたんに行事などが増えますね。
PTAやご近所のママ友会への参加もあります。頼まれごとも出てきます。
(中略)
こうしたことにゴネる人が必ずいます。
もちろんそれぞれに事情がありますから、本当に都合の悪いときはあると思います。
だた、どんな頼まれごとでも、返事が「え~」「でも」で始まる人がいます。
(中略)
そうなると、もうその人には誰も頼みごとをしなくなりますし、その人の「徳」も失われるのではないでしょうか。
「佐藤ママの強運子育て心得帖」(佐藤亮子著より引用)
佐藤ママ、何冊も本を出版されるようなすごい方ですから、やっぱりこういうことに対する意見もはっきりされています。
迷ったときや、もやもやした時に、あんなことが書いてあった~と思い出して何度か読み返してる本です ↓
学校のトイレ掃除も同じ
子どもたちの学校のトイレ掃除に対する考え方も同じではないでしょうか。
子どもたちから「くさい」「きたない」「適当にする」という声をちらほら聞いたことがあります。
わたしはそういう話をきいたときには、聞き逃しません。
「人がやりたくないことこそ率先してできるようになりなさい」、
「『他の人のためになること』がひいては自分の『陰徳』になり、めぐりめぐっていつか何かのタイミングで助けられることがあると思うよ。」と話します。
まとめ
なにかと世知辛い世の中になってきていますが、わたしは、子どもについても自分についても何かで迷ったときは、この言葉を思いだして決断したいと思います。
目先の利益や自分の利益だけで判断するのではなく、地域社会や子どものためを考え「益はなくとも、意味はある」という心で判断できるのが大人なのだと思います。
子どもたちにもそういう大人になってほしいと思います。
また、書きます。