こんにちは。さんははです。
たまたま手に取った「私の教育観37」という本を読んでいたら、多湖輝氏が戦争中に学校で事件を起こした時(今でいう高2の頃)の、多湖氏の明治生まれのお母さまの毅然としたお言葉に出会いましたので、ご紹介します。
中学生、高校生の子どもが学校で事件を起こして退学になるかもしれないという時の対応ですが、退学にはならないにしても何か問題を起こした時、現在の親の態度としても非常に参考になると思いました。
明治の母は、一本筋が通っていた方が多いと思っていましたが、このような形で明治生まれのお母さまの言葉に出会うことができ、非常に貴重な思いがしています。
もう今や直接「明治の母の教え」に触れられることはありませんので、このような形で残してくださっていることに感謝します。
一部引用します。
「教師も大人も毅然としていない」
―その事件について、ご両親はどう反応されましたか?
明治の親というのは、全然違うんですね。私の母親は明治二十四年生まれで、十五のときにお嫁に行って。
(中略)
そういう母親が、その事件のとき、
「今回のことについては、お前なりの考えがあってやったことだろうから、それについては何も言わない。そしてだれかにそそのかされてやったという責任逃れは許さない。お前には、これからの人生がある。もし放校の処分が出たときは、自分でしっかりと考えてどういう人生を歩いていくか、どういう職を手に付けて生きていくか、未来のことを考えて生きなさい。終わったことをクヨクヨ考えるのではない。」と。
そのとき私は「すげえおふくろだな」と思いましたね。
私の教育観37の「過保護列島ニッポンを憂う」多湖輝著より引用
私が参考にさせていただきたいと思ったポイントをまとめます。全部ですが・・・。
1. まず、うろたえない態度
2. 「お前なりの考えでしたことなのだからそれについては何も言わない」と一人の人間として扱っている点
3. 「人のせいにする責任逃れ許さない」と断言する点
4. 「もし退学になれば、どういう職で生きていくつもりなのか考えなさい」と現実を見ている点
5. 「終わったことをクヨクヨ考えるのではない」という潔い態度
今までのお母様の本物の人生があってこその言葉だと思います。貴重です。感動しました。
この本は酒井雄哉氏の著書を探していてたまたま出会ったのですが、その本の中で多湖氏の明治生まれのお母さまの言葉に出会うことができました。
多湖氏のお母さまも筋の通ったすごいお母さまだったということが分かり、多湖氏のご活躍の源を知れたような気がします。
本とのご縁に感謝。
明治の母の貴重な教え、昭和の母として微力ながら引き継がせていただきたいと思います。
また、書きます。