GWあけましたね。さんはは、ちょっとお疲れです。
新学期が始まり、やっと落ち着いてきたころにGW。
4月から、いろいろとバタバタして、記事も全くアップできませんでした。
この時期いろいろと家の仕事もありますよね。
子どもも3人いてるとそれぞれの学校行事の把握や、習い事の予定、学費やお月謝の引き落とし口座の残金管理、病院の診察日や買い物の日をどこに入れるか等々・・・。
また、衣替えの季節ですので、晴れた日には洗濯物も増えます・・・。
あれこれあれこれと思うのですが、
でも、さんはは、最近この年にして、「がんばらないこと」も大切だなと気付きました。
今まで受けてきた偏差値教育の結果だと思うのですが、
母となっても、私という凡人でも、心のどこかで、なぜかもっとがんばらないといけないような気になっていましたが、やめようと思いました。
最近は、母としても100点目指してがんばるのはやめてます。(もともと100点取れてませんが・・・💦)
なので、普段は、50点くらいでいいかなと思っています。
そう思うようにしたら、なんとなく気が楽になりました。
きっと、無理してがんばらなくても、がんばらないといけないときは、自然にくるんだろうから、
無理して自分からがんばらない。
「苦労は自分から追いかけない。黙ってても向こうから来るんだから、わざわざ苦労しにいくことはない」
という言葉にも最近出会いました~
確かにそうですよね。
きっとどんな道に進んでも、苦労するべきときには「苦労さん」がやってくるんだと思います。
「無理して向上しようとしなくていい・・・真心を忘れなければ自然とそうなっていく・・・」
年齢を重ねると、実感します。
仏教思想家の「ひろさちや」氏は、
「昔はがんばるという言葉に好印象はありませんでした」と著書に書かれています。
「がんばる」は悪い意味だった
私は「がんばる」という言葉を悪い言葉と思っている、と最初に申し上げました。私の子どもの頃は、「がんばる」をあまりよい意味ではつかわなかった。私は大阪生まれなのですが、「あの人、がんばってはるわぁ」というときには、ちょっと批判めいた意味が込められていました。がんばる必要ないのに、石頭でテコでも動かないように頑固だ、と。そんな非難を含めて「がんばる」をつかっていました。
がんばるのはプロだけでいい
「がんばる」という言葉が日本で市民権を得たのは、1936年に開催されたベルリンオリンピックのときだと言われています。「前畑がんばれ!」という実況中継といえば聞いたことがあるでしょう。
(中略)
それまでの明治、大正の時代には「がんばる」ということばに好印象はありませんでした。
それがこの放送で一辺したのです。
(中略)
プロはがんばるのが当たり前。アマチュアはのんびりやればいい。あきらめはのんびりの代名詞です。
ところが日本人は、アホみたいにみんながみんなプロ意識を持ってしまう。
「人生はあきらめるとうまくいく」ひろさちや著より引用
このことを知って、おどろきましたが、
昔は、一般の人ががんばる姿は、「ガツガツしてる」「欲張ってる」「無理してる」という意味で「どこか品がない、余裕がない」というような悪い意味あいがあったのではないかな・・・と想像します。
それを考えると、
今は、「がんばる」という言葉が一人歩きしてしまっている状態なのかもしれないなと感じます。
勉強勉強、受験受験、効率効率、成果成果、結果結果、がんばらないといけない、という価値観が世の中を覆っています・・・。
だけど、きっと人生の流れで、がんばらないといけない時はどんな人にもくるんだと思います。
その時にがんばればいいのであって、いつもがんばる必要はないのだと思います。
休めるときには休んだほうがいいです。
無理して追いかけない。
多胡輝氏は、「がんばる」ことについて、このようにおっしゃっています。
「五十点と五十点の夫婦、合わせて百点でいい」
五十点の夫と五十点の妻で、合わせて百点ー。
そんな感じでちょうどいいのではないでしょうか。
人間、よりより自分を目指して努力することは大切ですし、そういう人の姿は美しく見えます。
しかし、がんばりすぎは思わぬ結果を招くこともあります。
一人でがんばって百点満点を得ようとしたり、人に求めたりしないことが、満足度の高い人生を送る秘訣かもしれません。
「長生きすりゃいいってもんじゃない」日野原重明、多胡輝共著より引用
というわけで、わたしも普段は50点でいいかなと思っています。
「大変だなっ」っていう時は、お願いしなくても、勝手に来るので💦
そういうときのために、エネルギーを溜めておかないと。
また、ぼちぼち書きます。