こんにちは。さんははです。
今回は子どもの「おこづかい」について書いていきたいと思います。
おこづかいが子どもにとってのよい学びになるように願って考えた結果、このおこづかいのルールになりました。
おこづかいは「お手伝い制」がいい
わたしはおこづかいを渡すのは小学生からで、「お手伝い制」がいいと思っています。
小学生ならお手伝いもできます。
例えば、毎日お風呂掃除をするとか、毎日洗濯物たたみをするなどです。
もちろん毎日でなくても、習い事のない日だけに限定してもいいと思います。
だたし、最初に約束したら、責任をもって最後までやりとげるように伝えることは大切です。
お手伝いの内容は、「お風呂掃除」「洗濯物たたみ」「雑草抜き」などは低学年からも可能です。
また、中学年になれば、「食器洗い」「洗面所の掃除」なども可能です。
高学年になれば、「ごみ捨て」や「洗濯物の取り込み」も可能です。
そのお手伝いをしないと家族が困るようなことがいいと思います。
そのようなことを成田奈緒子氏もおっしゃっていますのでご紹介します。
「子どもにとって、生活以外に大事なものはありません」
私はアクシスにいらっしゃる親御さんによく「お子さんに役割を与えてくださいね」とお伝えしています。役割は、子どもの年齢にあったできることでいいのですが、その子がやらないと他の家族の生活に支障をきたすようなことがいいでしょう。
たとえば、食後の皿洗い、洗濯物の取り込み、ゴミ出し・・・なんでも構いません。子どもと話し合って役割を決めたら、ずっとやってもらうことにします。もしその子がさぼってやらなかったとしても、親は絶対に代わりにやりません。ここは覚悟を決めましょう。
(中略)
そしてここで得られるのは自己コントロール力だけではありません。「やりたくない気持ちに打ち勝って食器が洗えた」「食器を洗ったことで家族に感謝された」そんな「できたという経験」が子どもの自己肯定感も育てるのです。
(中略)
そういった人間としての基礎、そして自分を信じる力を育てるにに絶好の場は「生活の場」以外にはないと、私は思います。
「『発達障害』と間違われる子どもたち」成田奈緒子著より引用
わたしは、お手伝いについては、子どもの体調や予定によっては、必ずしもルールを守るべきだとは思いませんし、多少は臨機応変に対応した方がお互いの為だと思っています。
だけど、基本的には、親がすべて整えてあげることが正しいとは思えません。親の方が先に死にますから、親がいなくなった後にも自立できるように育てていくのが本来の子育ての目的です。
そのために、「家庭でお手伝いという役割を持たせて、責任をもってさせる」ということは必要だと思います。
子どもはお客さんではないのですから。
その積み重ねが「自分の行動に責任を持つ」という生き方につながっていくのだと思います。
おこづかいでお金の使い方を考えるようになる
おこづかいをもらえることで、子どもたちはお金の使い方を考えるようになります。
また、子どもが本当に欲しいものを親に遠慮なく買えるようになります。
なぜか子どもたちは、親からしたら「それ本当に要る・・・?」というものを欲しがりますからね~。
でも「子ども時代にしかないおこづかいの使い方をする」というそういう時も必要なんだと思います。
そういう時代を経て、お金の使い方を子どもなりに学んでいくようです。
最初は親からしたら「無駄遣いしているな~」と思った使い方も、だんだんと学年があがるに従い使い方が変わってきました。
だから、お金の使い方を失敗したな~と思うのも子どもにとっていい勉強になりますので、
親はよほどのことがない限り使い道に口出ししない方がいいと思います。
それが子どもの自主性を伸ばすことにもなっていくのだと思います。
うちの場合は、高学年になると本当に欲しいものでなないと、あまりすぐに使わなくなってきました。
「今月は我慢して、来月に回そう」とか、「前にも同じようなものを買ってまだ残っている」とか、そういうことを考えるようになります。
「自主性を育てる」ことについての記事はこちら ▽
おこづかいは「定額制」&「少ない方がいい」
うちの場合は、定額制で、お手伝いをできたら毎月決まった金額を渡しています。
金額は少ないほうがいいなと実感として感じています。
友達より少ないとかわいそうだとか思う必要はありません。
逆に少ない方がいいと思います。
その方が使い道をよく考えるようになります。
でも、おこづかいをあげないと、お金の使い方も学べませんし、逆にお金に卑しくなっても困りますので、少なくてちょっと足りないくらいがちょうどいいのだと思います。
小学生のおこづかい
金額は300円くらいから始めて、高学年で500円ほどで十分だと思います。
少しづつお手伝いができるようになってきたら学年に応じて増やしてあげると喜ぶと思います。
お手伝いをすることで、家族のためになり、さらにおこづかいももらえるとなると張り切って手伝ってくれます。
お手伝いにお金を渡すことに様々な意見もあると思いますが、働いて対価を得ることの最初の一歩になりますので、私は賛成です。
逆に何もお手伝いをしていないのに、おこづかいを渡してしまうと、有難みが分からないのではないでしょうか。
中学生のおこづかい
中学生のおこづかいですが、これもお手伝い制にしています。
中学生になると忙しくなるので、毎日ではなくてもいいので、ごみ捨てとか、食器洗いなどが丁度いいと思います。
もちろん、自分の部屋の掃除は自分でするルールにしています。
中学生ですから自分でできることは自分でしてもらわないと困ります。
金額は1,000円~2,000円くらいがちょうどいいと感じています。
出かける時に必要があれば、それは別途追加で渡したらいいと思います。
お年玉
お年玉は、おこづかいとは別であげてもいいと思います。
いざというときのために使うようです。
親戚からもらった全額を渡すと多すぎますので、その中から年齢に応じて渡しています。
お金に使われず、たくましく育ってほしい
最後に、藤原てい氏の言葉をご紹介したいと思います。
この文章を読み、
「やっぱりおこづかいの金額は少なくていい」
「おこづかいが多いからたくましく育つのではない、少ないからたくましく育つのだ」と確信しました。
金に使われたくない
「オレ、クラスの中で一番小づかいが少ないんだよ」
子供達は口をとがらせて文句をいったけれど、私は応じなかった。金が人生のすべてでもあるかのように錯覚されるのを恐れたからである。その中で彼等はよりたくましく育った。
つまり、金は生きるために必要だけれども、金に使いまわされるみじめな生き方はしたくない、と子供達に教え込みたかったからである。
つまり、あくまで人間さまがこの世で王様であったほしいだけである。
「生きる」藤原てい著より引用
おこづかいが少ないと友達に笑われてても、逆にそれを笑いにもっていくくらいのたくましさをもってもらわないといけません。
「お金に心を動かされたくない」
「お金に主導権を握らせたくない」と思っています。
おこづかいが子どもにとってのよい学びになるよう願っています。
また、書きます。